La Dolce Vita

ママ一年生、愛する息子との日々の記録、心の軌跡。

母になるということが私にくれたものたち

2015年9月、母になった。

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予定日を9日間過ぎて、満月とともに息子がこの世界に出てきた。真っ赤な顔して大きな声で泣く息子を、胸の上で受け止めて、これまでに感じたことのない心の震えを感じていた。やっと会えたね、ありがとう。これからよろしくねと、つぶやいた。

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小さな小さな手。
指もすっごく細くて、小枝みたいで、ちょっと力を加えたら折れてしまいそうで怖かった。この温かな命の塊が、自分の中から出てきたことに、どこか現実感が持てず、少しずつ「あぁ、この子は私の子供で、私は母親になったんだな」と、状況を飲み込んでいくような感覚だった。

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愛しくて愛しくて
すっぴんで、おっぱい丸出しで、全然寝られなくて、抱っこで肩も腰もバキバキで… それでも、この小さな命を守り育てることに、こんなにも心を向けられる存在が出来たことに、感謝した。

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平和だ、と思った。
あぁ、私本当に母親になったんだ。

 

世の中のいろんなことは、私じゃなくても大丈夫で、私がある日急にいなくなっても、何も変わらずに回っていくけれど、この子にとっての母親は私一人で、私がある日急にいなくなったら、きっとこの子は私を求めて泣いてくれる。私じゃなくちゃ駄目だと、全身全霊で訴えてくれる存在が出来て、私はすごく幸せだと思ったし、自分よりも大切な存在ができたということが、何よりも驚きだった。
息子を守るためだったら、自分の命も投げ出せる。
これまでどうもピンと来ていなかったその感覚に(「誰かの為に自分を捨てる」というものに)、自然となっていたことが嬉しかった。


これまで出会ってきた人、お別れしてきた人。選んだ道、選ばなかった道。その全てがそれで良かったんだって、息子の寝顔を見ていると素直にそう思えた。自分の人生を丸ごと肯定できたのは、息子と出会えたから。母親になれたから。私を母親にしてくれた夫へも感謝できるし、私を産んでくれた母親、結局は離婚することになったけど一度は結婚してくれた父親、そんな全ての人に心から穏やかな思いを向けることができるようになった。


恨みや、悔しさ、と言った負の感情を、一度全て手放すことができた。
母になるということが私にくれたもの。それはもう一度、私自身が生まれ直したかのように、澱みや濁りがなくなった真っ白な心かもしれない。